ゴミ山で暮らす子どもたちに教えてもらったこと。
こんにちはー!
学生時代に1年間色々な国をふらついていた時に最も印象的だった「ゴミ山に住む子どもたち」の話をしたいと思います。
カンボジアのゴミ山に住む子どもたち
休学中に約1ヶ月カンボジアに滞在し、小さな村に住む子どもたちのために幼稚園を建設したり、たった4年間で国民の4人に1人が虐殺されたポルポト政権のトゥールスレン刑務所に行ってみたり、様々なことをしていました。
そんな活動の1つに、ゴミ山に住む子どもたちを金銭的に支援をして、子どもたちの自立を促すというものがありました。
実際に、ゴミ山を訪れ、そこに住む人達の生活に必要なものを購入、支援をしたり、日本語に興味がある子どもたちに日本語の教育をしたりしていました。
ゴミ山に到着するとそこは、異様な匂いと高さ2mくらいのゴミ山が無数に積まれていました。
そして、今まで見たこともないようなハエの数。
普通はハエの飛ぶ音は耳の近くを通った時に少し聞こえるくらいですが、無数のハエが飛び交うことで常に大きな音でハエの飛ぶ音が聞こえるという異様な状況でした。
そんな環境に日本のホームレスと同じような家が無数に立ち並んでいて、そこに1000人ほどの人々が暮らしているそうです。
仕事はゴミの中から、プラスチックや缶を探し出してそれを業者に売り出すこと。
売値はだいたいこんなもんらしい。
空き缶 1Kg=3円
アルミ 1Kg=90円
生ゴミ バケツ一杯=50円
1日で稼げる値段はだいたい200円/人。
ゴミ山で働き続ける理由
普通に低すぎる。どうやって生きていくのそれで。日本人の僕には考えられなかったです。
ですが、この世界には10億人以上の人達が1日1ドル以下で暮らしているらしい。
世界の7人に1人が1日1ドル以下の生活。
そう考えるとゴミ山での生活ってそんなに最底辺の生活ではないみたいです。
だからこそ、子供達はゴミ山から抜け出すことができない、抜け出そうとしないんだそうです。
もちろん、中にはもっと大きな夢を抱いてその村から抜けて新たな仕事を見つけに行く子どもたちもいるらしい。
それでも、その村に住む子どもたちの夢はたったの4つに分類されるそうです。
1.日本語とクメール語(カンボジアの言葉)の通訳
2.英語とクメール語の通訳
3.お医者さん(両親や兄弟を病気のために失ってしまっているから)
4.ゴミを拾い続ける
子どもたちだけだと、200人以上いるのにそれでも夢がこれだけに集約されるってやばい。
日本なら100人いれば100種類くらいの夢があるはずなのに。
ゴミ山の子どもたちはたった4つ。
つまりはゴミ山に生まれた瞬間に、その人の将来の選択肢は圧倒的に狭まっていて、寿命も短いという現状を突きつけられるということ。
この現状を知った時に、可哀想、なんとかできたらいいのになって感じました。
だけど、実際にこんなことをしよう!って具体的に大きなことはなにもしませんでした。
ゴミ山の子どもたちを見て感じたこと
心のどこかで、なにかしないといけないなと感じながらもしょせん他人だ。って思っていたのでなにもせずにいました。
直接彼らのためになにもできませんでしたが、せめて、そんな彼らを知ったからこそ、自分の人生は彼らに決して失礼が無いように生きようと思い、その時から常に大事にしていることがあります。
それは「自分の好きなことをして生きていく」
ということでした。
ゴミ山の子どもたちが、もし日本の環境で生まれ育ったならもっと様々な夢を持ってその実現のために頑張ると思います。
だけど、ゴミ山に生まれたがために、人生の選択肢が圧倒的に狭まってしまっている。
そんな環境を知っていて、幸せな環境で育っている僕達日本人が様々な選択肢があるのに、その夢を追いかけなかったり、なにかしらの理由で諦めてしまうのは、ゴミ山の子どもたちに本当に失礼だなと感じました。
だから僕はこれからも自分が好きなことをして自分の夢を諦めずに、人生を通して叶えていければなと思います。
最後に…
まるで最近、体験したかのように書いていますが、実はもう4年前の話です。
今はどうなってるかはわかりません。
僕と同級生の山勢くんという人が雇用創出と生活水準の向上のために頑張っています。
最近、知ったのですが、情熱大陸でも取り上げられるくらい有名になっていました。すごい。
(https://www.mbs.jp/jounetsu/2018/02_04.shtml)
これからも頑張ってください!