#旅しよ。

『20代のうちに世界一周を。』 そんな野望を抱えた、 25歳のサラリーマン日記。

う◯こがもれそうな僕が渋谷でトイレを貸してもらえなかったことから思う、「本来あるべき人間の姿。」

これは25歳のサラリーマンがスタバでコーヒーを買おうとしている時に感じた、腹痛からはじまったしょうもない話です。

 

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ある休日の朝、腹痛で早朝の渋谷を走り回り、トイレを探している僕の身にこんなことが起きました。

~1件目~

「トイレ貸してください!」

「すみません、トイレだけではお貸ししていないんですよ。」

「わかりました!すみませんでした。」

この時点では自分にも余裕がありました。

ですが、渋谷の朝はなかなかどのお店も空いておらず、次のお店を探すのが大変

~2件目~

「すみません!トイレお借りしてもいいですか?」(本気でもれそうな顔してたし、本気でもれそうやった。)

「レシートはございますか?」

「すみません、ないです。」

「申し訳ございませんが、お貸しできません。」

「わかりました。」

 

少しずつう◯こちゃんがこんにちはしてきました。ぴんち。

 

~3件目~

「トイレ貸していただいてもいいですか?」(こんなにも必死にお願いしたことあるかな?ってくらい必死な顔。)

「トイレのみのご利用はできないんですよ

「あ、そうなんですね!トイレのあとすぐに買います!!」

「それもだめです。」

「(なぜ?笑)」

 

ここからもっと粘ろうと思ったんですが、なんかもうこの返答に全てのやる気を失ったというか、もう頑張れなかったというか。
なんで東京の人ってこうなんだろう。という気持ちから全てを諦めました。

 

「明らかに後5秒もしないうちにう◯こもれそうな人になんでトイレ貸してくれないの?」
そんな疑問で僕の頭の中はいっぱいになりました。
(計画的にトイレに行けていない僕も悪いですが。)

 

人間は優しい生き物である。という僕なりの性善説と対比をしながら、
なぜ渋谷でトイレを貸してもらえなかったのか?

について、真剣に考えてみます。

 

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トイレを貸してもらえなかった理由
これは簡単。
過度なマニュアルがあるから。」(※以後、マニュアルと言っても過度なマニュアルを指しています。)
ですよね。はい、この一言につきます。
けど、どうしてマニュアルってあるんだろう?
なぜ人はマニュアル通りにしか動けないんだろう?
 

まずマニュアルとは
ある条件に対応する方法を知らない者(初心者)に対して示し、教えるために標準化・体系化して作られた文書である。”

だそうです。

 

『大量生産』と『サービスの均一化』への対応のために、日本では様々な仕事がマニュアル化されてきました。
顧客対応、教育、営業での話し方、漫画メジャーの海堂学園高校の指導方針なども見事にマニュアル化されていました。

マニュアルとは先程の定義通りに、標準化、体系化されたものです。つまりは、誰がやっても同じように行うためのもの。

「様々な会社でマニュアルが利用されているのは組織としてマニュアル化したほうが強いから。」
「会社という虚構を作り上げている個人がそれぞれ自由に動きすぎてしまうと、虚構としての会社が意味をなさない、価値を発揮しなくなってしまう。だから、マニュアルはとても大事なんだ。」

そんなことを耳にタコができるほど聞いてきました。
けど、『それって個人の視点から見るとどうなの?』

そんなことを今回のう◯こ事件から思いました。
マニュアルは均質なサービスや大量生産を可能にすると同時に、人々の思考力や主体性を奪っていったなと。 

別にトイレを貸してくれなかったことをどうこういうつもりはないです。(あの時はちょっと言いたかったけど。笑)

けど、これからの社会、人間が自分で自分の意志を持って判断・行動できなければ、人間の生きている価値・介在する価値が薄れてしまうと感じます。
上から言われたことをそのままやるんであれば、全部、AIくんに任せればいいじゃんと。そっちのほうが正確です。

ただ、今のままじゃ本当に全てAIくんに取って代わられてしまいそうだなと感じます。
日本の義務教育をとっても、ある種、洗脳とも取れる教育。
僕も含めてほとんどの人が
「なぜ、勉強をするのか?」
という問いの本質的な部分を理解しないまま、ただ良い会社に勤めるためには、国公立や最難関私立を卒業するのがいいんだよという謳い文句を、真に受けて必死に受験勉強をする。(もちろん、そうじゃない人もたくさんいると思います。そんな方々は不快にさせてしまっていたらすみません。)

こうした本質を知ること、自分たちで主体的に物事を考える力がなければこれからの日本の社会はもっと大変なことになりそうだなと。

もちろんマニュアルがあるからだめだとは思いません。
組織視点でいうとマニュアルを活用することにより、より生産性高く、標準化されたサービスが提供できるんだろなと感じます。

けど、マニュアルも上司からの指示も、指示通りに動くだけで本質的な部分を見ることをしなければ、人間はこれからのAIくんに必ずしも負けていく。
だからこそ、常に物事や言葉の表面的な部分の理解に留まらず、それってなんでなんだろう?と問い続けることで人間は進化し続けるし、これからも世の中に対してもっと価値が提供できるのではないかな、と。
そんなことを考えさせられた早朝の渋谷です。

ちなみに、この後漏れたう◯こを拭いて、悠々とデートに向かいました。

ゴミ山で暮らす子どもたちに教えてもらったこと。

こんにちはー!
学生時代に1年間色々な国をふらついていた時に最も印象的だった「ゴミ山に住む子どもたち」の話をしたいと思います。

 

カンボジアのゴミ山に住む子どもたち


休学中に約1ヶ月カンボジアに滞在し、小さな村に住む子どもたちのために幼稚園を建設したり、たった4年間で国民の4人に1人が虐殺されたポルポト政権のトゥールスレン刑務所に行ってみたり、様々なことをしていました。

そんな活動の1つに、ゴミ山に住む子どもたちを金銭的に支援をして、子どもたちの自立を促すというものがありました。

カンボジアのゴミ山での実際の写真。


実際に、ゴミ山を訪れ、そこに住む人達の生活に必要なものを購入、支援をしたり、日本語に興味がある子どもたちに日本語の教育をしたりしていました。

ゴミ山に到着するとそこは、異様な匂いと高さ2mくらいのゴミ山が無数に積まれていました。

そして、今まで見たこともないようなハエの数。

普通はハエの飛ぶ音は耳の近くを通った時に少し聞こえるくらいですが、無数のハエが飛び交うことで常に大きな音でハエの飛ぶ音が聞こえるという異様な状況でした。

そんな環境に日本のホームレスと同じような家が無数に立ち並んでいて、そこに1000人ほどの人々が暮らしているそうです。

仕事はゴミの中から、プラスチックや缶を探し出してそれを業者に売り出すこと。

売値はだいたいこんなもんらしい。
空き缶 1Kg=3
アルミ 1Kg=90
生ゴミ   バケツ一杯=50

1日で稼げる値段はだいたい200/人。

ゴミ山で働き続ける理由

 

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普通に低すぎる。どうやって生きていくのそれで。日本人の僕には考えられなかったです。

ですが、この世界には10億人以上の人達が11ドル以下で暮らしているらしい。

世界の7人に1人が11ドル以下の生活。

そう考えるとゴミ山での生活ってそんなに最底辺の生活ではないみたいです。

だからこそ、子供達はゴミ山から抜け出すことができない、抜け出そうとしないんだそうです。

もちろん、中にはもっと大きな夢を抱いてその村から抜けて新たな仕事を見つけに行く子どもたちもいるらしい。

それでも、その村に住む子どもたちの夢はたったの4つに分類されるそうです。
1.日本語とクメール語カンボジアの言葉)の通訳
2.英語とクメール語の通訳
3.お医者さん(両親や兄弟を病気のために失ってしまっているから)
4.ゴミを拾い続ける

子どもたちだけだと、200人以上いるのにそれでも夢がこれだけに集約されるってやばい。

日本なら100人いれば100種類くらいの夢があるはずなのに。

ゴミ山の子どもたちはたった4つ。

つまりはゴミ山に生まれた瞬間に、その人の将来の選択肢は圧倒的に狭まっていて、寿命も短いという現状を突きつけられるということ。

この現状を知った時に、可哀想、なんとかできたらいいのになって感じました。

だけど、実際にこんなことをしよう!って具体的に大きなことはなにもしませんでした。

ゴミ山の子どもたちを見て感じたこと


心のどこかで、なにかしないといけないなと感じながらもしょせん他人だ。って思っていたのでなにもせずにいました。

直接彼らのためになにもできませんでしたが、せめて、そんな彼らを知ったからこそ、自分の人生は彼らに決して失礼が無いように生きようと思い、その時から常に大事にしていることがあります。

それは「自分の好きなことをして生きていく」

ということでした。

ゴミ山の子どもたちが、もし日本の環境で生まれ育ったならもっと様々な夢を持ってその実現のために頑張ると思います。

だけど、ゴミ山に生まれたがために、人生の選択肢が圧倒的に狭まってしまっている。

そんな環境を知っていて、幸せな環境で育っている僕達日本人が様々な選択肢があるのに、その夢を追いかけなかったり、なにかしらの理由で諦めてしまうのは、ゴミ山の子どもたちに本当に失礼だなと感じました。

だから僕はこれからも自分が好きなことをして自分の夢を諦めずに、人生を通して叶えていければなと思います。

 

最後に


まるで最近、体験したかのように書いていますが、実はもう4年前の話です。

今はどうなってるかはわかりません。

僕と同級生の山勢くんという人が雇用創出と生活水準の向上のために頑張っています。

最近、知ったのですが、情熱大陸でも取り上げられるくらい有名になっていました。すごい。
https://www.mbs.jp/jounetsu/2018/02_04.shtml

これからも頑張ってください!

「夢」いつか、小さな村を作りたい。

こんにちはー!

 

転職後は、多くの学生と会い、その子達の将来を一緒に考える仕事をしています。
「将来はこうなりたい!」という学生の夢を出来る限りの形でサポートをしています。

・・・

今まで自分の夢を叶えた人や、叶えようとしている人。

起業をした人。

同い年でも、発展途上国でスラムの子どもたちのために事業を起こした人。

まだ学生なのに、15億円稼いでいる人。

本当に様々な人がいますが、夢を叶えた人、自分の夢を必死に追いかけてる人達は皆、
自分の夢を周りにしっかりと発信しているなと感じます。

今日は僕の「夢」を発信してみようと思います。

「小さな村を作りたい。」

現在の夢について詳しく書く前に少し前まで描いていた2つの夢について。

 

①老人に優しい社会創り

おじいちゃん、おばあちゃんが年老いていくに連れて、人生が楽しくなさそうに見えてきていました。

道を歩いていても歩くのが遅くて、邪魔者扱い。(特に東京では。)

大好きな孫や子供と会えるのは年に数回。

世話をしてくれるのは、自分が大事に育ててきた息子や孫ではなく、全く知らない介護士さん。

そんな状況に少し違和感を感じ、もっと老人に優しい社会だったらいいのになと感じて
いました。

そんな理由から「介護士」になりたいなと思う頃もありましたが、少しずれているなと感じていました。

介護士ではなく、もっと本質的に老人が楽しく、もっと生き生きとした人生を送れる、そんな世界を創り上げたいと考えていました。 

②第二の学校の創設


幼い頃から通っていたテニススクールでは、「挨拶」「感謝」「礼儀」など、人として大事なことをとても厳しく指導していただきました。

ときには遅刻をして、コーチに殴られたり、仲間に暴言を吐いたせいでラケットで往復ビンタをされている子たちもいました。

その時はとても怖かったけど、今となってはそのコーチ達のお陰で一定の人間力が養われたのではないかと思います。

そしてテニスコーチとして働いてみて、挨拶、感謝、礼儀を学校だけでは身につけられていないと改めて感じました。

その時から、テニスを通して、子どもたちに人として大事なことを伝えていきたいなと感じるようになり、いつしかそんな場を作りたいと考えるようになりました。

けど、なんで人に優しくなかったり、挨拶などができないんだろう?

単純に、世の中が便利になりすぎたんだろうなと思います。

僕がまだ幼かった頃は、「地域=運命共同体」のような感覚がありました。

例えば、マンション対抗の運動会や、同じマンションの人が調味料だけを家まで借りに来たり、同じテニススクールに通う友達のお母さんにスクールまで一緒に連れて行ってもらったり。

父、母、姉だけが家族というより、地域全体が家族のように生きていたという感覚がありました。

だけど、情報社会へと変遷していく中で、今まで存在していた、物理的制約が取り壊されて「地域」というコミュニティが今までのような役割を果たせなくなった気がします。(今までは、狭く深くだったものが、広く浅くなったような感覚。)

だから子育ても家族という単位で行ない、その結果しんどくなり、我が子を虐待して殺してしまう。

レストランで食事をしても、食事を提供される人、その対価をお金として得る人の関係で終わってしまう。

知り合いなら必ず美味しかったよ!ご馳走さま!また来るね!って言えるはずなのに。

そんな世界なら全員がもっと気持ちよく日々を過ごせるはずなのに。

日本人全員の意識を変えることができたら、それは本当に素晴らしいことだと思う。

だけど、それってあんまり現実的じゃないし、頑張ろうとも思えない。

だから、せめて同じような考え方を持ってる人達だけでいいから、もっと人間味に溢
た、優しさに溢れた、そんな小さな社会を作ることができたらなって思う。 

改めて、小さな村が作りたい。

人と人との距離が近くて、人間味に満ちた村が作りたい。

そこらへんを歩いていたら知り合いがいて、電車で誰かが困っていたら必ず助けてあげて、いつかは自分も助けられて。

自分が愛情を持って育てた子どもたちが愛情を持って今度は看病をしてくれて。

電車の中で席を譲る時は、「(知らない人に)よければどうぞ!」ではなく、「〇〇さんどうぞ!」「××くんはいつも親切ね、ありがとう!」と互いを知っている状態でのコミュニケーションが生まれて。

まだまだ考えが甘い部分もたくさんだし、世の中全てこんな状態だと成り立たないのはわかる。

だけれども、資本主義で成り立っている日本でだからこそ、少し競争社会から逸脱した世界観を持ったコミュニティを作り出すことができたら面白いなと感じています。

まあ、お金がないのでまずは宝くじを当てるところから始めます。
(かなり偏った考え方をしているので何か思ったことなどがあればコメントをいただけると嬉しいです。)

そろそろちゃんと、頑張ろう。

こんにちは。

大麻です。

 

今月41日をもって社会人2年目となりました。
ちゃんと報告をしていませんでしたが、昨年末を持って、リンクアンドモチベーショングループを退職致しました。
理由は色々ありますが、まあ世間一般的に見てポジティブかと言われるとそうではないですね。
一言でいえば「逃げ」のような形で前職を辞めています。

 

そして今はご縁があり大学スポーツチャンネルという
「スポーツで日本の未来をつくる」
というVisionを掲げたベンチャー企業で働いています。
規模は約10人くらいでいつも渋谷あたりをふらふらしています。

 

そんな僕が転職をきっかけに始めたことや、考えたことなど
本当に徒然なるままにこのブログに書き連ねていこうと考えています。
今回ブログを始めたのは2つの理由があります。

 

①発信と定着

新しい仕事に就いてから、かなり勉強をするようになりました。
前職のマネージャーが本当に賢くて、そして人間的にも優れていて。憧れていました。
なんとなく、自分もあういう風になりたいな。と思う一方で、理想だけが高まっていき、現実とのギャップを埋めるための努力を一切していませんでした。
転職をして、そんな自分じゃまずいな。
このままだとどんどん落ちぶれていくなって強く感じました。
そこからかなり勉強、特には読書、をするようになったのですが。
いかんせん頭が悪くて忘れる忘れる
そこで今まで勉強したことなどをどんどん発信して定着を図ろうと思ったのが一つ目です。
そしてあわよくば読書好きな人とこのブログを通してコミュニティでも作れたらなって思っています。

 

②決意

人が1番変われる瞬間は不幸もしくは大きな環境変化が起こった時だと思います。
これまで何度変わろうと決意してきたことか。けれど、本当の意味で変われたのってほんの一握りでした。
自分がこれまで変われた瞬間の共通点ってなんだろうって思った時に思いついたのが上の2つでした。
ってな、ると今、この瞬間ってめっちゃチャンスじゃないかな?と思ったわけです。
今回は、「不幸」ではなく「環境変化」です。
不幸が起こった時は人は何もせずに大きな変化を体験することが多いですが、
環境変化ってなにもしなければ、まるでなにも無かったかのように過ぎ去っていきます。
だからこそ、この千載一遇のチャンス(超ポジティブ)をしっかりとものにするためにもなにか自分でアクションを起こさないとな。
って、アホながらに考えてみました。
その結論が、なぜかブログでした。笑
だから、このブログを自分の中で一つ決意として、形が有るものとして残すことによって、今の気持ちを忘れずに今後も頑張っていきたいなって思っています。

 
と、まあ真面目に色々と書いてみましたが、僕がブログを書き飽きるのはだいたい3ヶ月位かなと思っています。
それまで時々お付き合いいただけると嬉しいです。
(TABIPPO時代からライティングのセンスが無い。とひたすら言われてきたので、これを機に頑張ります。笑)